筑後川の四大井堰

日本の三大暴れ川と恐れられたのは次の三川です。
   
   1.利根川(坂東太郎)
   2.筑後川(筑紫次郎)
   3.吉野川(吉野三郎)

                     筑後川(中流)

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古来から氾濫を繰り返してきた筑後川ですが、うち続く旱魃や
水害に見舞われてきた農民の安定した生活を確保するには、
暴れ川と恐れられてきたこの筑後川の治水・利水を置いては
あり得ないとの思いから悲願の井堰が作られてきました。

        現在筑後川の四大井堰と呼ばれている
           1.袋野堰
           2・大石堰
           3.山田堰
           4.恵利堰
        これらの井堰はいずれも江戸時代に築堰されたものです。


山田井堰は1,663年(348年前)に築堰されました。
この井堰が完成したことで、人工の堀川用水と呼ばれる水路
が生まれました。

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中央に白く光って見えるのが全面に築かれた石畳です。
流れは石畳の突端で左右に二分されています。
左手に誘導された水は堀川用水へ流れていきます。

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             誘導された水は水神社の下を潜り堀川用水を流れます。


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             堀川用水です。


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水路の完成により、水路の南に位置する一帯は、この用水の
恩恵を受けられるようになりましたが、北側にある菱野・古毛
周辺は水路よりも高い位置にあり、この水を何とか利用でき
ないかとの思いから考えられたのが揚水用の水車の設置で
した。


この堀川用水に稼働している水車群です。

これらの水車は、平成元年に「堀川用水路水車群」として
国の史跡文化財に指定されています。




             有名な菱野三連水車です。



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             三島二連水車          

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             久重二連水車

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寛文4年に完成した井堰は、その後取水口を変更し
水神社の下部の岩石を切り抜いた切抜水門となり
ました。

さらに、治水・利水事業に生涯を捧げた古賀百工に
よる井堰の大改修や堀川の拡幅・新堀川の掘削等
により、当初150haにすぎなかった水田は487ham
となり、その後今日までの改良工事により、現在は
700haの灌漑が可能となり、多くの人々がこの用水
の恩恵に浴しています。



堀川用水は、今日も満々の水を湛え、水車群は黙々
と水田への命の水を送り続けていました。




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この記事へのコメント

2011年07月31日 09:34
昔から治水の工事が続いているのですね。
3連水車は観光の目玉にもなりますね。
省エネのお手本ですね。

いつまでも元気に働いてもらいたいですね。
2011年08月01日 07:04
お早うございます!偶々今日のブログに「坂東太郎」を載せました。筑後川、吉野川とくるのですね。大昔から川が無くては生活が成り立たなかったのでしょうから水を上手く使ったのですね。素敵な水車に驚きです。
2011年08月01日 17:24
団子三兄弟みたいな三連水車は、
高低差を解消する揚水用だったんですんね。
頭の中がすっきりしました。
古処山
2011年08月02日 14:54
”shuuterさん”
コメント・気持ち玉有難うございます。

水車は220年の昔から、灌漑用として
休むことなく働き続けてきました。
しかし、今では本来の目的に加え、観光
用としても人気を博してきています。
水車は木製ですので、4年毎に新しく作り
変えなければならず、ただ単に揚水のため
であれば、水車に代わる器具類もあります。
このため、一時その存廃について論議も
有ったようですが、郷土朝倉のシンボルと
して保存されることになつたそうです。

いつまでも、その勇姿を残して戴きたい
ものですね。
古処山
2011年08月02日 15:14
”yasuhikoさん”
コメント・気持ち玉有難うございます。

堀川用水が完成した当時は、用水より
高い位置にあった堀川右岸では、
「足踏み水車」や「打桶」と呼ぶ二人で
水を汲み上げる方法で灌水していたそう
です。
その後揚水用の水車が完成したことで、
過酷な労働を強いられていた農民にとっ
ては、水車は救いの神だったことでしょう。

団子三兄弟は、その後220年の間しっかり
と頑張ってきました。

国の史跡文化財に指定されたこの貴重な重連
水車群は何時までも残して戴きたいものです。
2011年08月02日 22:40
こんばんは。
筑後川の氾濫で、幾つかの井堰が築堰されたのですね。
用水路から揚水用の水車が使われるようになったのですね。菱野三連水車、三島二連水車、久重二連水車、どの水車も初めて見せていただきました。
史跡文化財に指定された水車、これからも素晴らしい姿を見せて欲しいです。
古処山
2011年08月03日 06:52
”信徳さん”
コメント・気持ち玉有難うございます。

信濃川は日本一長い河川ですが、暴れ川と
いえば筑後川が次郎だそうです。

この筑後川は別名「一夜川」とも呼ばれて
きました。洪水により一夜にして流域が荒
廃してしまうからとの意味だそうです。
このため、流域での治水は間断なく行われ
今日に至っています。
如何に、この暴れ川を利用するかと知恵を
絞ってきた先人の努力に頭が下がります。

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